【学び】第14回教室『学び合い』フォーラムin静岡に参加して④
2018年8月4・5日(土・日)、第14回教室『学び合い』フォーラムin静岡に参加してきました。
前回の記事はこちら。
『学び合い』公開授業
静岡市立大里中学校2年生の数学の授業を参観しました。授業者は、静岡市立北沼上小学校・水野大輔先生でした。
印象に残ったことが2つありました。
1つ目は、初めは問題が解けなかった生徒が、友達からの説明を聞いて理解し、教えてもらった友達に促されて解き方を説明していたことです。
「わかった。」という言葉で終わらせるのではなく、本当に理解できているかをお互いに確かめていました。
授業後に、生徒に質問をしていい時間があったので、教えてもらっていた生徒に質問してみました。
「どの瞬間に完全にわかったと思いましたか?」
「友達に説明しているうちにわかってきました。」
やはり、話を聞くだけよりも、自分の言葉で説明する方が理解を確かにするんだなと、改めて感じました。
2つ目は、2人で説明をし合っている生徒に、近づいてきた別の生徒が、横で説明を黙って聞き、その場から黙って去っていったことです。
この生徒にも、授業後に質問をしてみました。
「説明をし合っている友だちのところに近づいて、説明を聞いた後、離れていったけど、どんなことを考えていたのですか?」
「そういう考え方もあるんだなと思いました。自分の考え方とは違ったけれど、正しい答えだったので、何も言いませんでした。」
自分が課題を解き終わった後も、友達の考えを聞いて、理解を深めていました。
2人で説明をし合っている友だちの邪魔をせずに、自分も学ぶ。
その行動が素敵だなと思いました。
質問をさせてもらったどちらの生徒も、自分がどのように考えて行動したのか、はっきりと話すことができていました。
それは、普段から自分の考えを表現する機会が多かったり、周りに自分の考えを受け入れてもらえる安心感の中で育ってきたりしているからなのではないかと思いました。
自分の教室にも生かしていきたいと思います。
『学び合い』の教室から見えること
備前市立西鶴山小学校・川西弘幸先生、藤枝市立高洲小学校・山﨑一宏先生の分科会に参加しました。
2人のお話を聞いて思ったことは、どんな子どもたちに育ってほしいのかを、意識することが大切だということです。
「手段」と「目的」
『学び合い』の考え方は、とても大切だと思っています。
でも、『学び合い』を手段として捉えていると、思ったように学び合わない姿に不安を抱いてしまいます。
もっと、長い目で見て、「目的」としての『学び合い』、一人も見捨てない集団をつくるために『学び合い』をする。
そんな感覚が自分には必要なのではないかと思いました。
2人の先生が仰っていた、呪縛のようなものも少なからずあったように思います。
モヤモヤしたものが少し晴れたような気がしました。
おまけの静岡名物。